桃くまマーチ
                                       (桃くまラプソディのおまけ話)



 ー1ー

 ――自分の気持ちを環に伝えてほしい。


 任せてよ!

 素面の瑞紀から願いを託され、意気揚揚と請け負った酔っ払い瑞紀は、とりあえず残っていたファジーネーブルをぐびぐび飲みながら思う。

 甘〜いお酒はおいしいよねぇ――じゃなくて、ここからどうしようか。
 環に伝えたいことはいっぱい、い〜っぱいあるんだけど、いつもみたいにほろ酔い気分で言いたいこと全部言ってたら、いつもみたいに途中で寝落ちしてしまいそうな気がする。
 それはダメだ。環がいなくなってたら困る。
 だって、これは環と一緒に家へ帰るためのミッションだから。なら、最初に伝えるとしたら……うん、やっぱ、前期試験の結果だよね。
 21番だったんだよ!
 って言ったら、環、褒めてくれるかな。
 よく頑張ったな、って、あの大きな手のひらで頭を撫でてくれるかな。
 そうしたら、お願いしてみよう。おれと一緒にお家へ帰ろう、って。
 うん。絶対うまくいくよねっ。

 と、酔っ払い瑞紀はミッションを華麗に成功させて、環と一緒に家へ帰ろうと思っていたのに、聖司からダメ出しを食らう。

「みっちゃんがいるからあの家に帰りたない、って言われたらどーすんの」

 むむ……。

 酔っ払い瑞紀は眉を寄せて考え込む。

 ホーリーさんは最近とっても意地悪だけど、確かに、さっきの環(素知らぬ顔で美人のお姉さんと去っていった姿)を思えば、ホーリーさんが言ってるのも一理あるかもしれない。
 う〜ん、どうしよう。
 環に帰りたくないと言われても、おれは絶対に環と一緒にお家へ帰りたい……。

 よくよく考えた末、酔っ払い瑞紀は「これしかない」と決断する。

 よし、狩ろう。



 ー2ー

 環を仕留めて持って帰ろう。それが一番確実だ。
 そうと決まれば、変身だよね。

 酔っ払い瑞紀は傍らに置いていたケモ耳の籠を覗き込み、底の方に隠していた桃くま耳を探し出し、三毛ねこ耳を外した頭にかぱっとはめた。

「じゃじゃ〜ん!(ハンター桃くま見参!)」

 得意満面で振り向いた酔っ払い瑞紀だったが、それを見た聖司の反応は芳しくなかった。酔っ払い瑞紀の頭を指差しながら「それ、何の耳?」と聞き返してくる。

 なんと。桃くまを知らないとは。

 酔っ払い瑞紀は胸を張って名乗りを上げる。

「桃くまだよ!」

 なぜかそのあと、聖司は頭を抱えて肩を震わせていた。聖司がぶつぶつ呟いているのを横で聞くと、どうやら桃くまブラックと名乗る桃くまに日々狩られているらしい。

 桃くまブラック。どこの桃くまかは知らないけど、ホーリーさんを何度も仕留めることができるなら、きっと名のある一流のハンターに違いない。

 感心していたら、バックヤードから戻ってきた旭に、段ボール箱を手渡された。箱の中には、ぷにぷにの肉球付きの桃くま手×2(両手分)。酔っ払い瑞紀はすぐさま両手に装着する。

 桃くま耳に桃くま手。
 これで狩りの準備は完ぺき。

 酔っ払い瑞紀は椅子から飛び下り、聖司と旭に向かって、桃くま右手を高く掲げて言う。

「準備完了。それでは桃くま瑞紀、狩りに行ってきまーす」

 さあ、狩りの時間だ。
 狙う獲物はただ一人。
 待ってて、環、いま行くよ。



 ー3ー

 いま行くよ、とは言ったものの、踏み入れた奥のフロアの照明は全体的に薄暗く、ざっと見渡しただけでは人の輪郭くらいしかわからなかった。

 ん〜と、環、どこにいるのかな。

 酔っ払い瑞紀はフロアの入り口で背伸びし、きょろきょろと辺りを見回す。
 広いフロアのテーブル席は、基本円形の造りで、テーブルとソファも半円形。大柄の人もゆったり腰掛けられるソファは大きく、通路に面したソファだと、誰が座っているのか判別がつかない。

 しょーがない。順番に聞いて回ろう。

 酔っ払い瑞紀はテーブル席を覗き込みながら環を尋ね歩く。

「ごめんください。環、いますか?」

 小首を傾げて現れた桃くま瑞紀に、そのテーブル席にいた客たちは皆、目を輝かせて色めき立つ。

「きゃあ、可愛いっ」
「ね、ここ座って座って」
「一緒に飲みましょうよっ」

 熱烈大歓迎を受けるが、酔っ払い瑞紀は毅然として誘いを撥ねのける。

「ううん。おれ、環を探さなくちゃならないから」

 一様に残念そうな表情を浮かべた彼女らは、少し考えたあと、テーブルの上のお菓子を取り上げて誘う。

「――美味しいチョコはいらない?」
「いる(即答)」

 世の中にはどうしても撥ねのけられない誘惑もあるわけで……。
 咲いた花のようなネイルの指先で差し出されたチョコを、酔っ払い瑞紀は口を開けてぱくっと食べる。砕いたナッツが入ったベリー風味の丸いチョコレート。

 ん。美味。

 うっとりとした面持ちで食べていたら、あとからやって来た聖司がソファの隣に腰掛けて、呆れた顔で言う。

「みっちゃん、佐倉んとこ行かんと何やってんの」

 あ、そうだ。狩りの途中だった。

「お姉さんたち、チョコ美味しかったです、ありがとう。じゃあ、ホーリーさん、おれ、先に行くね」

 酔っ払い瑞紀はすくっと立ち上がり、チョコ菓子をくれた彼女らに手を振りながら、そのテーブル席を後にする。

「――みっちゃん、ちょお待って」

 慌てて後を追おうとする聖司だったが、聖司も彼女らも常連客ゆえに互いに顔見知りで、

「聖くん、ちょっとくらい付き合いなさいよ」
「ほらほら、飲んで」
「それはそうと、あの可愛い子、誰?」

 当然の流れでその場に引き留められてしまう。
 そして聖司を残して、ふたたび環を探すことにした酔っ払い瑞紀は、すぐ近くにあったテーブル席を覗き込む。

「ごめんください。環、いますか?」

 小首を傾げて現れた桃くま瑞紀に、そのテーブル席にいた客たちは皆、目を輝かせて色めき立つ。

 以下同文――。



 ー4ー

 甘いお菓子の誘惑には勝てず、その後も、あちこちのテーブル席で歓待された酔っ払い瑞紀。寄り道のたびに聖司をその場に置き去りにし、環を探していた酔っ払い瑞紀は、ついに聞き慣れた声を捉える。

「――悪かったな」

 獲物(環)だ!
 ここは慎重に近付かなければ。

 ふわふわ〜とした高揚感のまま、雲の上を歩くような感覚でそろそろと、環のいるらしいテーブル席へ歩み寄る。通路に近い側のソファに座っていた美乃里が、近寄ってくる酔っ払い瑞紀に気づき、面白そうに目を細めて笑った。

「――いいじゃない。環はリリの目から隠したかったのかもしれないけど、当の本人には隠れる気がないんだから」
「隠れる気がないって」

 声のする方――ソファを回り込むようにして覗き込み、そこに座っていた環と目が合った。

「……瑞紀」

 酔っ払い瑞紀は「えへへ」と笑い返す。

 それでは狩りましょう。

 テーブルとソファの間をするりと抜けた酔っ払い瑞紀は、履いていた運動靴を脱いでソファに上がり、環の隣にちょこんと正座する。
 狩られるのを察しているのか。
 環の顔がやや引きつっているように見えたので、安心させるために琥珀色の酒が入ったグラスを環に差し出す。

「はい、環。どうぞ」
「――あ、ああ」

 渾身の笑顔が功を奏したか、環は受け取ったグラスを口に運ぶ。
 そのとき、環を挟んだ向こう側に座るリリが、じっとこちらを見つめながら聞いてくる。

「失礼。貴方は環とはどういうご関係ですか?」

 生き生きと輝く綺麗な翡翠色の双眸。
 その瞳を見返して、酔っ払い瑞紀は本能的に察する。

 この美人のお姉さんも狩人だ。相当の腕前の――。

 環(獲物)を間に挟んでの問いかけ(駆け引き)。
 酔っ払い瑞紀は真っ向から受けて立つ。

「環の妻です」

 直後、環が激しくむせる。
 気管に酒が入ってしまったのか、ひどく苦しそうだ。

「環、だいじょーぶ?」

 顔を覗き込んで声をかけたとき、近場のテーブル席に置いてきた聖司が怒鳴り込んできた。

「いま妻って言うたよな! みっちゃんそれ何なん!?」

 何と言われても。
 狩りの手法は説明できないので、適当にとぼけてみる。

「お刺身の横に添えてるのじゃないよ」
「そんなん分かってるわ! 佐倉の妻ってどーいうことやっちゅーとんねん!」

 適当ではダメだった。仕方ないので真面目に答えてみる。

「んとね〜、あの家に住むとき環が言ったんだよ。環が旦那さんでおれが奥さんだって」
「おいこら佐倉どーいうことや!?」

 聖司の矛先が環にいってしまったが、当の環は平然と聞き流し、美乃里と話をしている。

「みっちゃん、完ぺきに酔っ払ってるわねぇ」
「……美乃里さん」
「あたしじゃないわよ。こっちに来る前はいつものみっちゃんだったもの。お酒はうっす〜いファジーネーブル半分くらいしか飲んでなかったし」

 どうやら酔っ払い瑞紀に代わっていることがバレたらしい。



 ー5ー

「みっちゃんが自分で飲んだんや! 旭が出した美乃里姉さん用の酒を!」

 身の潔白を訴える聖司の言葉を聞いて、環が驚いたように瑞紀の顔を覗き込んで聞いてくる。

「瑞紀は何で飲んだんだ?」

 待ってました!
 今こそ華麗にミッションを成功させる大チャンス!

 酔っ払い瑞紀は有頂天になって言う。

「あのね、おれ、環に言いたいことがあったんだ」
「何?」
「前期試験の席次」
「ああ、21位に上がったんだろ」

 途端、酔っ払い瑞紀は真顔になる。

 ……なんで? 
 おれが言おうと思ってたのに。
 21番だったんだよ、って。

「……何で知ってるの?」
「大学の知り合いから聞いて」

 あっさりと返され、酔っ払い瑞紀はかちんと来る。

 おれが言いたかったのに!
 環のばか!
 むかむかするこの苛立ち。
 こういう時こそ、岡江が言ってくれた通り、トイレットペーパーを環にぶち当てればよいのだろうが、あいにくトイレットペーパーは持ち合わせていない。
 ホーリーさんが持ってきてくれなかったからだ。

 酔っ払い瑞紀はふくれっ面を聖司に向ける。

「ホーリーさんのばか」
「何で俺やねん!?」
「だってホーリーさんがおれのトイレットペーパー持ってきてくれなかったから」
「意味分からんわ!!」

 あいにく聖司には通じなかったが。

「瑞紀、もしかしてトイレットペーパーがここにあったら、――俺に投げつけようと思ってた?」

 環には通じた。

 すごい。
 何にも話してないのに。
 こういうの、以心伝心って言うんだっけ。

「ごめん。俺がずっと家を出てたから、席次のこと、言いたくても言えなかったんだよな」

 酔っ払い瑞紀は「ん〜」と首を傾げる。

 そう言われたらそうなんだけど。
 このまま話してると、まずい気がする。
 獲物(環)と以心伝心してたら狩りができなくなるかも。
 そうでなくてもこの場には自分以外にも凄腕のハンターがいるんだし。
 となったら、ここは先手必勝だよね。
 ――よいしょっ、と。

 酔っ払い瑞紀は環の太腿の上に腰を下ろし、ぎゅーっと力いっぱい環に抱きついた。

「何してんねん!?」

 狼狽えた聖司の問いに、平然と「捕獲」と答えた酔っ払い瑞紀は、次にリリを見つめて訴えかける。

「あのね、お姉さん。――環、持って帰ってもいい?」

 狩りの仁義を守って、獲物(環)を横取りしても良いかとお願いしたら、狩人(リリ)は交換条件を出してきた。

「環をお譲りする代わりにキスしてもいいですか?」

 なんと。
 獲物(環)を手放す代わりに狩人(桃くま)を狩りたいとは。
 桃くまより環の方がすこぶる美味しいのに。
 でも……。

 酔っ払い瑞紀は眉をひそめて考える。

 環はいつでもどこでも人気者だ。世界の三大珍味並に美味しいから。
 となると、環を狙う狩人(ライバル)が減ってくれるのは正直助かる。
 なら、いいか。ちょびっとくらい。

「ほっぺたならいいよ」

 嬉々としたリリが酔っ払い瑞紀の右頬に「ちゅっ」とキスすると、続いて美乃里も左頬に「ちゅっ」とキスする。
 両頬にキスされた酔っ払い瑞紀は「えへへ」と笑う。

 よしっ。これで獲物(環)はぜんぶおれの。
 まるまる家へ持って帰って美味しく食べられるんだ。
 ほんとはリリさんたちみたく、おれもちょびっとくらいは味見したいんだけどね。家じゃなくて今ここで。
 でも急いては事をし損じる。環を逃すわけにはいけないので、ここはひたすら我慢我慢我慢……。

 環にぎゅっと抱きつきながら、獲物(環)の誘惑に堪えていると、美乃里が「ふふっ」と笑んで声をかけてくる。

「あのね、みっちゃん。環もして欲しいんですって」
「何を?」
「キ・ス」



 ー6ー

 環もキスして欲しい?
 えっ、ほんとに。
 わぁい。味見してもいいんだ。

 酔っ払い瑞紀は嬉々として環の唇に食らいつく。
 ぶちゅーっ(熱烈キス)と、せっかくの機会を逃すことなく、思う存分味わおうと思っていたけれど。

「ぎゃーっっ!! 何してんのみっちゃん!?」

 聖司の横やりが入り、やむなく獲物(環)を解放して答える。

「キスだよ」
「そんなん見たら分かるわ! 聞いてんのは何でするんやってことや!」
「んとね、味見、かな」
「……味見って何を?」
「環」
「は?」

 正直に答えたら、魂を飛ばしてる茫然自失中の環を除いた、その場にいる全員が変な顔をする。理解不能とばかりに。

 あれ? 味見しちゃいけなかったのかな。

 眉をひそめた美乃里が人差し指を立てて聞いてくる。

「つまり、環に味見してもらったってこと?」
「ううん。環を味見したんだよ。美味しく食べるために」

 えへ、と愛想笑いしてみせたら、魂飛んでる環以外の皆の顔が一様に強張る。

 あれ? みんなどうしたんだろう。

 長〜い沈黙の後、美乃里が慎重な口調で聞いてきた。

「……環を、美味しく食べるのは、誰?」
「おれ」

 胸を張って答えたら、聖司が呆然として言う。

「みっちゃんがタチやったなんて……」

 たち?

 酔っ払い瑞紀は首を傾げて聖司に聞き返す。

「おれは桃くまだよ」
「桃くまでも、ネコとはちゃうんやろ?」
「うん。桃くまは凄腕のハンターだからね」

 そのあと、魂の戻った環が聖司に「ネコ」と称され、珍しく慌てた様子で「自分は違う」と必死に否定していたが、誰からも信じてもらえなかった。

 ねこ? う〜ん、ねこって猫のことだよね……。

 首を捻っていたら聖司に聞かれた。

「なあ、みっちゃん。佐倉のこと、どないして美味しく食べるんや?」

 環の美味しい食べ方を。
 よくぞ聞いてくれましたと、酔っ払い瑞紀は上機嫌で答える。

「んとねー、日々鍛錬してきたおれのテクニックで、環の体をとろけるように柔らか〜くしてから、食べるんだよ」
「――ほんまもんや、これ」
「何言ってんですか! だいたい俺と瑞紀の体格差見たら分かるでしょう。瑞紀が俺を食べるなんて無理だってこと」

 環から「食べるのは無理だ」と言われ、酔っ払い瑞紀は「無理じゃないよ」と反論する。前に環をかじって食べたとき――環の誕生日の夜の経緯を話して。

 そういえば、あのときはおれ、まだ未熟だったから、いきなり環にかぶりついちゃって、環に痛い思いをさせちゃったんだよな。

 あれは反省すべきだと、酔っ払い瑞紀は環を見つめて真摯に謝る。

「ごめんね、環。許してくれる?」

 優しい環が「ああ、もちろん」と許してくれ、酔っ払い瑞紀は「わぁい!」と万歳して言う。

「次は絶対美味しく食べてあげるから乞うご期待!」

 そんな狩人の熱意(酔っ払い瑞紀の真心)が通じたらしい。
 環は酔っ払い瑞紀を抱えて立ち上がり、「瑞紀、俺と一緒に家へ帰る?」と聞いてくれた。

 やったぁ! ミッション大成功!

 聖司の文句を背にして、環に抱えられたままフロアを通り過ぎた酔っ払い瑞紀は、カウンターの前まで来たところで旭から声をかけられる。

「さすがは瑞紀さん。うまく仕留められましたね」

 酔っ払い瑞紀は得意満面でガッツポーズをしてみせる。

「もちろん。狙った獲物は逃さない、桃くまは凄腕のハンターだから。――そうだよね、環」

 首を傾げて覗き込むと、環は「ははは」と笑って返す。
 気のせいだろうか。環の笑みが引きつったように見えるのは。
 酔っ払い瑞紀は少し考えてから思う。

 ――ま、いいか。
 美味しさは一緒だもんね。


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